鋸は紀元前1,500年前後の古代エジプトの金属製の鋸や古代バビロニアの都市シュメール・ウルから、黒曜石で作った鋸が発見されたのをはじめ、 南フランスからは旧石器時代の燧石(ひうちいし)製の鋸が発見され、ヨーロッパからはたくさんの石の鋸が出土している。
旧石器時代から縄文時代にかけて、刃のギザギザに欠けた石器や硬い魚の骨の突起の多い部分を、肉や植物を切るのに使われていました。
大陸から鉄の文化が伝わってきた弥生時代、石斧から鉄斧に移行。これにより石器はほとんど姿を消し、鉄製木工具が主流となる。
鋸の登場は4世紀頃の古墳時代前期といわれ、鋸の出土品も十数例を数える。鋸といっても木材切断用ではなく、装身具などの加工用、つまりヤスリみたいなものだった。
日本国内の古墳出土の鋸のうち、型式としては5世紀の河内アリ山古墳出土のものが最古のものといわれる。
法隆寺献納宝物の鋸
6世紀に入ると仏教伝来と共に、木工具は大きな飛躍を遂げる。中世の絵巻によく登場する木の葉鋸をはじめ、わが国の古代の鋸はすべて横挽鋸だった。 室町時代の半ばまで縦挽鋸はなかったといわれています。それまでは、建築材としての柱や梁、桁あるいは板類などは箭割り(やわり)という楔を打ち込む技法で割っていた。
木の葉鋸の推定形状
室町時代中期に縦挽き用の鋸として大鋸(おが)が伝来。わが国での縦挽鋸の始まりは15世紀半ばから。
大鋸組立図
桃山時代から江戸時代初期にかけては、城郭や城下町の発達により、建築需要が急増。 製材に大きな技術革新をもたらした大鋸は、間もなく文献や絵画から姿を消し、変わりに一人挽きの縦挽鋸 「鑼(かがり)」 と 「前挽き大鋸」 が登場。
鑼
17世紀ごろから、鋸の用途別細分化が進み、今日の鋸のほとんどが出揃ったといわれている。
前挽き大鋸(江戸時代)
江戸時代末期から明治時代にかけて、建築界にも西洋の技術が流れ込み、縦挽き、横挽きが兼用できる両刃鋸が考案され、明治後半から普及。
大正から昭和と手づくりの最盛期を迎える。
手づくりの鋸から替刃式へと移り変わっていく。
世界中で日本の木工鋸のすばらしさが再認識される。
時代が令和へと移り変わり、IOTの時代を迎える中、伝統工具のすばらしさが再認識されていると思う。
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